僕はダンスが嫌いだ。

僕はダンスが嫌いである。

その理由は僕が小学生の時にあった出来事が原因である。


当時僕の小学校ではクッソダサいダンス、略してクソダサダンスがなぜか流行っていた。

流行っていたと言っても皆が踊っているわけでもなく、そのクソダサダンスをなんとかして踊らせて、バカにしようという感じの流行り方である。

(どんなダンスかは具体的には忘れてしまったが、当時流行っていた芸人のダンスを、さらに下品にしたものだったと記憶している)


そんな当時、何をしたかまでは忘れたが、僕と町山くんという子がいたずらをしたことが原因で、教室の前に吊し上げられていた。

教室のみんなの前で謝罪をしなければならないと言う、令和では既に廃れた、平成の置き土産となる文化である。


ここでは穏便に謝罪をし、その場を終了しなければならない。

僕は可及的速やかに謝罪の弁を重ねた。隣の町山くんは無言だった。


するとクラスのボス的な女の子が「クソダサダンスを踊ったら許してあげる!」と言い出した。

ダンスを踊ることと謝罪をすることはイコールではないが、全体の嘲笑の下にさらされることで謝罪とみなす提案である。もはや平成ですら太刀打ちのできない、昭和の文化である。


周りもボス女の意見に賛同し、クソダサダンスを踊れと囃し立てる。町山くんは無言を貫いている。

僕はこの場を納めるためにはクソダサダンスを踊り、終わらせることが最善だと判断し、踊った。クソダサダンスを、踊った。


クラスは僕に向けた嘲笑で、大爆笑である。

いつも給食で大量にお代わりをする際に「育ち盛りだから」と言うため『盛り』と言うあだ名のついた彼も、とても優しいのに耳が真っ赤であるだけで『オコリザル』と言うあだ名のついた彼女も、指をさして僕を笑っている。

仕方ない。仕方ないんだ。これはいたずらをしたことへの贖罪である。世の中は嘲笑のもとで成り立っているのだから。


しかしこれで僕の禊は終わった。次は町山くんの番だ。はりきって、どうぞ。

そう思って僕が町山くんの方を見たところ、町山くんはフルフルと震えている。そして、泣き出した。

「僕はこんなダンス踊りたくない。絶対に踊りたくない」

そう言って泣き出す町山くん。


おいおい、それはないよ町山くん。

僕は踊った。笑われた。次は君の番なんだ。

そんな泣き落としで逃げてはいけないんだよ。これからの世の中、逃げてはいけない場面はたくさんあるんだ。町山くん。

僕はそう思っていると、先ほどまで嘲笑の渦に包まれていたクラスの雰囲気もなぜか変わっていき、


「町山くんかわいそう」

「確かにあのダンス踊って謝らせるのは違うよ」

「私だって絶対踊りたくない」


とクラスの子達が次々に言い出した。

しまいにはボス女も「みんな!あんなダンス踊らせて謝らせるなんておかしいよ!」と言い出した。はじめに言い出したのはこの女なのに。


町山くんは泣きながら「いたずらしてごめんね」と呟き、クラスのみんなも「ごめんね、変なダンス踊れとか言って」と、やさしい空気へと変わっていった。





へぇ〜〜〜〜〜、僕、クソダサダンス踊ったんだが? へぇ〜〜〜〜 なにこの空気。

ねぇ。町山くん? 僕はクソダサダンスを踊った。ねぇクラスのみんな? ねぇ町山くん?

へぇ〜〜〜〜





僕はそれ以降、ダンスが嫌いである。